
「1999」第1章
第3話「柿原」
「来やがったな、暇人め。」
GARAXYに入ると、男が話しかけてきた。
男はデニム地の、あちこちに穴が開いたエプロンを身に纏い、ポケットに手を突っ込んでいる。
髪はボサボサで、寝癖がひどい。無精髭を生やしており、眼光が恐ろしく鋭い。おまけに全身から異様なオーラが放たれている。
誰が見ても、只者ではないことは明白だ。
井上である。
井上は、GARAXYでバイトをしている。
地元の工業高校を卒業後、バイトを転々とした井上が、最後に行き着いたのがここGARAXYだった。それ以来、井上はこの店でバイトを続けており、今では「GARAXYの名物店員」と呼ばれるに至っている。
「景気はどうだい?」
僕は訪ねた。
「まあ、ボチボチだ。いずれにせよ、この店のうだつがあがるなんて現象は、この宇宙が消滅するまで起こらんよ。」
井上が答える。コイツはいつもこんな調子である。
「ま、そうだろうな。」
井上に挨拶を済ませると、僕は筐体の方へ歩いていき、KOF]Vに100円を投入した。中学の頃は1Play20円だったこの店も、今では100円に値上がりしている。
すると、すぐさま乱入者が現れた。
対面に座ったのは―――井上である。
「オマエ、まだバイト終わってねーんじゃねえの?」
と僕が問うと、
「いいよ、どーせ客少ねえし、橋本君ひとりで十分だろ。」
井上はぬけぬけと答えた。
これがGARAXYクオリティである。今日まで潰れていないのが、不思議な位だ。ちなみに「橋本君」というのは、去年入った大学生のバイトの子で、井上にコキ使われてるっぽい。
兎に角、こうして僕と井上の、バーチャル世界における熾烈な争いが始まった。
僕達は、かれこれ10年間もコレ―――いわゆる「対戦型格闘ゲーム」というやつ―――を続けている。
「格ゲー」というものは、実に奥深い。
この世には、星の数程の対戦型格闘ゲームが存在するが、まともに遊べる奴は数えるほどしかない。ゲームバランスの調整が、恐ろしく難しいからだ。
キャラの強さに差がありすぎたり、システムの裏をかいたハメ技が見つかったりすると、瞬く間にゲームとして成立しなくなってしまう。
正直なところ、本気で熱くなれるだけの絶妙なバランスを持った格ゲーなんて、この10年で3、4作しか無かった。
そんな対戦型格闘ゲームの内で、頂点に君臨しているのが「メルティ・ギア」なのである。
メルティ・ギアは、確かにヤバかった。格ゲーが格ゲーとして成立するための条件を全て兼ね備えた、奇跡のような存在だった。メルティ・ギア以上に熱くなれたゲームは未だに存在しないし、これからも登場しないと思う。
残念なことに、メルティ・ギアはもうGARAXYには置いてない。とっくの昔に廃れて消えていった。
今プレイできるのは、秋葉原のCLUB・SEGAくらいのものだろう。あそこは格ゲーの博物館みたいな場所で、黎明期の格ゲーが、今でも現役で活躍している。
だけど、そんな所でメルティ・ギアをプレイしたって、何の意味もないのだ。
メルティ・ギアはGARAXYに置いてなきゃいけないし、20円でプレイできなきゃいけない。
「メルティ・ギア」は単なる格ゲーではない。
特別な存在なのだ。
少なくとも僕と井上と、そして柿原にとって――――――
*
柿原は秀才だった。
僕や井上とは違って私立の中学校に通い、都内でも有数の進学塾「阿鳴学院」に通っていた。
そんな柿原と僕たちは、こともあろうにGARAXYで出会った。
その日、僕と井上はいつものように、授業が終わるとすぐに学校を抜け出してGARAXYへ行き、メルティ・ギアで遊んでいた。
あの頃僕達はメルティ・ギアに夢中で、中学生活の殆どをこの神ゲーに捧げていた。月イチGARAXYで行われていたメルティ・ギアの大会では、常に僕と井上がトップを独占していた。
僕達には「メルティ・ギアなら誰にも負けない」という絶対の自信と、プライドがあった。
だが、柿原がGARAXYにやって来た日、そのプライドは脆くも崩れ去った―――――
「くそっ・・・!!」
井上が思いっきり筐体を蹴りつけ、悪態をついた。店内にドンという、異様な音が鳴り響く。
「どした?」
トイレに立って席を外していた僕は、その音を聞きつけ井上の元に駆け寄った。
「どーもこうもねえよ、東芝。汚ねえ野郎が現れたぞ。ハメ技を使ってきやがるんだ。」
「ハメ技だと・・・?」
僕は井上に代わって筐体の前に座り、20円を投入して、乱入した。
―――その30秒後に、僕は瞬殺されていた。
「・・・!!」
「な、ハメだろコレ。ちきしょーメルギアにだけはハメは無いと信じてたが、やっぱ存在したのか・・・。」
井上は随分と興奮している様子だ。僕は驚きのあまり、声も出なかった。
「いや・・・違う。これはハメじゃない。」
僕は井上をなだめるように言った。
それは、限りなくハメ技のようでいて、ハメ技ではなかった。
相手を飛ばせて落とす、王道中の王道をいく戦法だった。ただ、それがあまりにも精確でムダが無いために、ハメに見えてしまうのだ。
僕は、その戦い方に魅せられてしまっていた。
勝つことだけを目的に、一切の装飾を省いた、研ぎ澄まされた動きだと思った。あまりにも貪欲で、あまりにもミもフタもなくて、けれどもそれがかえって潔くて―――美しかった。
(こんな戦い方をする奴は、どんな顔をしているんだろう?)
僕は対戦相手に興味を持った。
「やあ、強いね。」
で、思わず筐体の向こう側を覗き込んで、話し掛けた。
「言っとくけど、ハメじゃないからね。」
そこに座っていたのは、僕と同じ位の年の奴だった。制服が僕達とは違ってブレザーだったから、ウチの中学の奴じゃない事だけはわかった。
「わかってる。」
「ならいいや。」
酷く無愛想なやつだった。僕が話し掛けているのに、モニターを凝視したままで、こちらを見ようともしない。
「ここ、よく来るの?」
それでも僕は話し掛けることを止めなかった。
「ううん、今日が初めて。」
「ふーん。メルギア好きなの?」
「うん。」
「そっか。じゃあ、僕と同じだな。」
それだけ話すと、僕は再び座りなおし、筐体に20円を投入した。
僕と井上は、この日15戦ほど柿原に挑んだ。
辛うじて僕は2回だけ柿原に勝利することが出来たが、井上の方は全敗だった。
午後6時を過ぎた頃、
「そろそろ行かなきゃ。」
と柿原は呟き、筐体を立って僕達の方にやって来た。
「用事があるの?」
僕は訪ねた。
「うん、6時半から塾。僕のほう、まだ3クレジット入ってるから、使っていいよ。」
「ありがと。」
「いや、随分使わせちゃったし。」
「また来る?」
「うん、また来るよ。」
「そっか。じゃあ楽しみにしてるよ。」
「うん。」
柿原はそう言って頷くと、初めて笑顔を見せた。笑うと意外に愛嬌のある顔をする奴だと思った。
それから柿原は、ちょくちょくGARAXYに来るようになった。塾が始まる前と、終わってからの30分間、僕と井上と柿原は、メルティ・ギアをプレイしまくった。
阿鳴学院の生徒は、GARAXYで遊ぶことを禁じられていたんだけど、柿原は成績が抜群に良かったので、塾講師達も黙認してるらしかった。
早いもので、あれから10年もの月日が経つ。
柿原は都内で一番偏差値の高い高校に入学して、私立最高ランクの大学を卒業後、外資系のコンサルティング会社に就職した。
井上は前述のように、GARAXYで働くフリーターだ。
僕は適当な偏差値の高校に入って、ギリギリ一流と言われている某理工系私立大学を卒業して、今ではニートである。
井上に言わせれば、僕が一番「負け組」らしい。
だが、そんなことはどうだっていい。
3人とも、別々の道を歩んだけれど、今でも格ゲーに対する愛情だけは変わっていない。それが一番大切なことだ。
兎に角、そんなわけで僕達は、こうして時々GARAXYに集まっては、バーチャル世界における終わりなき闘争に、明け暮れているというワケである。
(続く)
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