1999
「1999」第1章
第5話「柿原 is Dead.」




「オイ、どうした・・・!?」
 井上が部屋の中に入ってきた。井上は中の状況を見て、絶句した。

 柿原は死んでいた。

 窓の上部、カーテンを付ける金具にロープを引っ掛け、中腰の体勢のまま柿原はぶら下がっていた。金具は柿原の体重で大きく湾曲し、付け根のあたりが壁から取れかかっている。
 柿原は苦悶の表情を浮かべ、絶命していた。目は見開かれ、口もだらしなく開いたままで、舌を垂らしている。口角からは、泡状になった唾液が吹きこぼれていた。

 Tシャツにスウェットパンツ、という風体から察するに、昨夜寝る前にやったんだろう。スウェットパンツの股間の辺りが濡れており、下の床には液体が飛び散っている。どうやら絶命する前に、失禁したようだ。

「うわあああああっ!!!」

 井上は悲鳴をあげ、その場から逃げ出そうとした。僕は井上を肩を掴み「動くな!」と注意した。で、すぐさま携帯を取り出し、110当番通報した。
 こういう時は出来る限り、動かないほうがいい。部屋に進入した時点で、僕達は指紋やら何やらの痕跡を残してしまっている。ここで逃げ出そうものなら、警察は間違いなく僕達を犯人扱いするだろう。今は、妙な振る舞いは極力謹み、警察の到着を待つべきだ。

 30分後、警察が到着した。マンションの前の道路にパトカーが何台も横付けしたので、辺り一帯は騒然となってしまった。近隣住民はともかくとして、どこからやって来たのか見当もつかない野次馬達には閉口である。まったくもって暇な連中だ。

 井上と僕は、その場で簡単な事情聴取を受けたのち、パトカーで警察署に連行され、取調べを受けた。
 どうも僕達を、犯人だと疑っている様子だった。
 これだから国家権力は嫌いなのだ。僕達を疑う理由は「職業」だろう。ニートだの、フリーターだのといった、定職に就いていない者は、全員が犯罪者予備軍だとでも思っているのだろう。まったくもって不愉快な連中である。何故僕達が柿原を殺さなければいけないのか。

 結局、取調べは深夜まで及んだ。









 警察署を後にした僕と井上は、ファミレスに寄ることにした。
 取調べ中、カツ丼の出前でもとってくれるかと密かに期待していたのだが、出がらしの緑茶を呑まされただけだった。そんなわけで、猛烈に腹が減っていたのである。
 僕はハンバーグセットを注文し、井上はロースカツ定食を頼んだ。

「・・・とんでもねえことになっちまったな。」
 井上が言った。

「うん。」
 僕はそっけなく返した。

「お母さん、泣いてたな・・・。」

「うん。」

 警察署の中で、僕達は柿原の母親とすれ違った。かなり取り乱している様子で、正気とは言いがたい状態にあったから、声を掛けられなかった。

「東芝は、どう思うよ?」

「ん。」

「やっぱ自殺なのかね?」

 井上の顔色は芳しくない。こいつはデフォルトで血色が良くないんだけど、今日は一段と青い顔をしている。
 無理もない、あんな事があった後だ。まともな神経の持ち主であれば参ってしまうだろう―――それが人間の正常な反応である。

 にもかかわらず僕の方は、酷く冷めていた。
 悲しくない訳じゃない。
 だが、今は柿原の死を悼む前に、やらなければいけない事がある気がした。

 本当に、柿原は自殺したんだろうか?もしかすると、何者かによって殺害されたのではないか―――?
 警察はいずれ見解を発表するだろう。でも、その判断は必ずしも正しいとは限らない。僕は「警察」という、この国の治安機構を全く信用していないのだ。

「まだ、何とも言えないな。
 はっきりしているのは、柿原は何かを隠していた、ってことだろう。
 死因が自殺であるとすれば、柿原は何らかの悩みを抱えてたってことになる。それも、自ら命を絶たざるを得ないような強烈なやつを、だ。
 逆に他殺ならば、誰かに殺されるような秘密を持っていたってことになる。」
 僕は慎重に言葉を選んで言った。

「そうとも限らんのでない?
 単純に、金目当ての強盗に殺されたって可能性もあるぞ。あとは、快楽目的の猟奇殺人犯とか・・・。」
 これは井上の弁。

「いや、それは無い。」
 と、僕が断言した瞬間、ウェイトレスがハンバーグセットとロースカツ定食を、ワゴンに乗せて運んできた。自殺だの強盗殺人だのという、物騒な僕達の会話を聞いてしまったウェイトレスの女は『ドン引き』という顔をして、去っていった。

「どうしてそう言い切れる?」
 口の中にロースカツを2枚放り込んだままの井上が、モグモグやりながら聞いてきた。

「死に様に説明がつかない。柿原はカーテンにロープをひっかけて自殺していたんだ。これが強盗目的の殺人だったとすれば、犯人は柿原を殺した後に、自殺に見せかける『偽装』を行ったことになる。
 そんなことをしたって、何のメリットもないじゃないか。むしろ自殺に偽装する作業の中で、指紋や体液といった痕跡を残すリスクだけが高まる。
 強盗犯なら、さっさと金だけ奪って、現場から逃走したほうがいいに決まってる。僕が犯人だったそうするな。

 で、次に、快楽殺人だったとすると、そもそも『自殺に見せかける』こと自体が不自然だ。猟奇殺人を犯す奴等にとって、殺した相手ってのは『作品』なんだからな。死体を全裸にして肛門にバラの華の一輪でも突っ込んどくとか、『私が殺しました!』っていう派手な演出をするに違いないんだ。

 柿原が死んでいた状況からは、そういう表現欲求みたいなものは一切感じられなかった。あれが自殺でなく他殺であるとすれば、犯人は何らかの明確な目的をもって柿原を殺している。その上で、自殺に見せかけるべく偽装を行ったんだ。」

 ハンバーグを食べながら、僕は言った。うむ。我ながら理路整然とした、素晴らしい推察である。さすがは僕。

「オマエさ・・・何か最近、ミステリー小説にでも嵌ってるの?」
 自己陶酔に浸っている僕に、井上が水を差した。

「ち、違う!!!」

 思わず僕は赤面した。ミステリーだって?冗談じゃない。
「読書は人生における最大の快楽」が信条の僕だが、ミステリーだけはいただけない。あんなものは、幼児の読み物だ。
「真犯人は誰だ?」だの「ダイヤを利用した巧妙なトリック」だの、ナンセンスにも程がある。ミステリーなんていうものは、書物の中では下の下の存在だ。そんなものに嵌るほど、僕の品性は下劣ではない。

 僕はむきになって反論した。
 すると井上は、半ば呆れ顔で

「つっても、結局犯人探しをするんじゃねーか。」
 と、言った。
 
 僕は言葉を失った。


 まあぶっちゃけて言うと、そうなんだよね・・・。




(続く)




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