1999
「1999」第1章
第6話「遺品」




 数週間後、僕と井上は、柿原の実家を訪ねた。

 柿原の母親は、意外にも僕達を暖かく迎えてくれた。「意外にも」というのは、彼女がガチガチの教育ママだったからである。中学生の頃、僕達は何度か柿原の家に遊びに行ったことがあるんだが、柿原母にはその度に嫌な顔をされた。
 彼女の信条は「大学に行かない人間は皆、犯罪者かホームレスになる」であった。そんなわけで彼女の中では、学校をフけてゲーセンに通いつめる僕達のような人種は、すべからく犯罪者予備軍だったのである。
 曲がりなりにも一流大学に入学した後、僕の扱いは格段に良くなったが、フリーターとなった井上に対する風当たりは一層厳しくなった。

 柿原が死んでしまった今、彼女はかつての信条を捨て去ったように見える。学歴とか職業とか、そんなはもう、どうでもよくなったのかもしれない。ともかく彼女は満面の笑顔で僕達を居間へ通し、やたらに美味いケーキとコーヒーをご馳走してくれた。

 居間には仏壇が置いてあった。仏壇の中には、柿原の遺影と位牌があった。僕と井上は交互に仏壇の前に座り、手を合わせ、線香をあげた。正しい作法なんてわかるわけもないので、TVやら映画から手に入れたなけなしの知識を総動員し、何とかその場を取り繕った。
 
 遺影に使われている写真には見覚えがあった。僕達が18歳の頃のものだ。僕と柿原と井上は、卒業旅行の名目で伊豆に行った。
 しょぼくれたペンションに泊まって、サイクリングしたり、パチンコしたり、喫茶店の店員に難癖をつけて、悪ふざけをしたりした。ペンション内では、経営者の息子が放し飼い状態となっており、そいつが何故か井上になついてしまった。結局ペンションにいる間中、井上はその5歳児に付きまとわれ、ロクに遊ぶこともできなかった記憶がある。
 井上は「鬱陶しいガキだ」と憤慨していたが、実のところまんざらでもなさそうだった。

 ―――ああそうだ。この写真はその時井上が撮ったやつだ。トリミングされているから分からないが、右側には僕が映っていた筈である。よく見ると柿原の肩あたりに、僕の指先が映っている。これじゃあ心霊写真みたいだ。

 遺影を見ていたら、熱いものが込み上げてきた。
 そうなのだ。もう柿腹はこの世にいないのだ。
 何故だ?何故おまえは、僕達に何も告げないまま、この世から消えてしまったんだ?


 どうしても納得いかなかった。
 頭の中で、何かが引っ掛かったままになっていた。









 仏壇に手を合わせたあと、母親の許しを得て、僕達は柿原の部屋に入らせてもらった。マンションの部屋は既に引き払い、中にあった私物の殆どは、この部屋の中に放り込んだらしい。いくつかの品々は警察が押収していったそうだが、柿原の死の謎を解く手掛かりになるものが残っているかもしれない。

 柿原の母親は、

「ゆっくりしていって頂戴。何か欲しいものがあったら、自由に持っていっていいわ。」

 と言って、部屋を出て行った。
 僕達はどうやら、それなりに信頼を獲得したようである。人間としてはアレでも「少なくとも柿原の友達だった」という点において評価されたんだろう。

 彼女は「仏壇に手を合わせに来たのは貴方達しかいない」と言っていた。会社の上司は葬式にちょろっと顔を出しただけで、挨拶を済ませるとそそくさと帰ってしまったという。「まるで逃げるようだった」と、柿原の母親は愚痴をこぼした。

 柿原はどうやら、会社では「仲間」とか「友達」と呼べるような人間関係が築けなかったようである。そういえば、奴がコンパや飲み会に行ったという話を聞いた事が無い。
 考えてみれば当然だ。25にもなって中学時代のダチとつるんでいる男が、孤独でない訳がない。僕だって似たようなものである。高校でも、大学でも、その後のニート生活でも、井上・柿原以上に濃密な友人を作ることは、どうしてもできなかった。サークルの新歓コンパとか、ゼミの飲み会とか、行くには行ったんだけど、どうしてもその空気に溶け込むことができなかった。


 部屋の中を漁っていると、実に色々なものが発掘された。「想い出の品」というやつだ。セガサターン、ドリームキャスト、ゲームギア、プレイステーション・・・一世を風靡しては消えていったゲーム機の数々。
 僕が柿原に貸したまま、行方知れずになっていた某アニメのドラマCDも発見された。あの野郎「絶対返した」とかほざいてた癖に、やっぱりあったじゃないか。しかも、相当楽勝で見つけられたんですけど。そういえば柿原は、こういう所でルーズな男だった。
 まあ僕も、その点においては文句の言える立場ではない。柿原の大事にしてたマンガを借りパクしちゃったことがあるし。おまけに誤ってそれをBOOKOFFに売っちゃったし。ついでにこの前中野でそのマンガを見つけたんだけど、ものすごいプレミア価格がついてたし・・・奴ばかりを責めるわけにもいくまい。

 
 そんな感慨に浸りながら遺品を漁る僕の傍らで、井上がおもむろにPCを起動した。
 柿原のPCはDELL製で飾り気がなく、実用一点張りといった感じだ。

「ちょっと待てよ、PCの中まで覗くのか?」

 僕は井上を注意した。健康な成人男性にとって、己のPCの中身ほど見られたくないものは無い。日々の気持ちを赤裸々に綴った日記、プログラムファイルの中に潜むエロゲーの数々、長年オカズとして利用してきた愛用のエロ画像&動画、IEに登録されたお気に入りのサイト、etc・・・男のPCの中には、触れてはいけない聖域が、盛り沢山なのである。 
 そのサンクチュアリに土足で踏み込もうとは、いかがなものなんだ、え?


「つっても仕方ないじゃん。じゃあどうやって死因を調べるんだよ。」

 極めて尤もな意見を井上が口にした。
 そうなのだ。僕達は柿原が何故死んだのか、その手掛かりを探すためにここにいるのだった。
 柿原には悪いが、ここは心を鬼にして、PCの内に潜むプライベートな情報を洗わなくてはいけない。警察は早々と奴の死を「自殺」と結論付けてしまった。
 確かに「自殺」なのかもしれない。だがそれならばそれで、何故柿原が自殺しなければいけなかったのか、を知りたい。
 自ら命を絶つほどまでに、奴を追い詰めたものは何だったのか?


 柿原のPCの中は、不気味なほどに整理が行き届いていた。何というか「使われていた形跡がない」のだ。
 全てのファイルが消去されているわけではない。C:ドライブには「画像」という名前のフォルダがあって、そこにはグラビアアイドルやAV女優の写真なんかが収められていたし「日記」というフォルダには、柿原の手記と思われるテキストファイルがいくつか残っていた。

「・・・妙だな。」
 
「何が?」
 僕の呟きに、井上が反応した。

「このPCは、何者かの手によって書き換えられている。」

「何でそう思う?」

「例えばこの『画像』というフォルダの中にある写真群だが、柿原が自慰目的で集めたとは思えない。生活感を演出するために、意図的に用意されたって感じがする。」

「そうかあ?」
 井上は首を捻って、疑わしげな視線を僕に向けた。

「まず、ファイルのタイムスタンプが不自然過ぎる。去年9月から今年の2月までのファイルしかない。柿原はこのPCを、もう5年は使っているはずだ。過去5年間のファイルが残っていないとおかしい。
 それに画像の内容も気になる。あまりにも当たり障りが無さ過ぎるとは思わないか?こういった実用目的で収集された画像の中には、他人が見たらドン引きするような、個人のフェティシズムが如実に臭い立つようなものが、含まれていなければ変だ。」

「まあそこは、人それぞれだと思うが・・・タイムスタンプの方は確かに気になるな。」

「僕が思うに、このPCは柿原、ないしは別の人間によって再インストールされている。
 その痕跡を残さないために、日記や画像ファイルなどを意図的に用意したんじゃないかな。」

「ふむ・・・まあ筋は通ってんじゃねえの。で、何のためにそんなことをするんだよ?」

「わからん。」

「わかんねーのかよ!!!」

 うーむ、ちょっと困ってしまった。IQ286を誇る超絶優秀な僕の頭脳をもってしても、分かるのはここまでだ。



(・・・ん?)



 苦悩に暮れていると、《あるもの》が目に止まった。
 その《あるもの》とは、ぬいぐるみである。
 ただのぬいぐるみでは無い。「ギコ猫」のぬいぐるみだ。ベッドの上に何気なく転がっている。

「おい、ちょっとそこのぬいぐるみ取ってくれ。」
 僕は井上に頼んだ。

「ん、これ?」

 井上はギコ猫をベッドから拾い上げると、僕の方に投げた。
 それをキャッチした僕は、細部をくまなく調べ始めた。

「なんでそんなもんが気になる?」
 井上は詰め将棋に詰まったオッサンのような苦い顔をして、僕に問うた。

「柿原はアンチ2ちゃんねらーだった。」

「ん・・・あーーーそっか・・・!」
 井上の細い目が、限界と思われる領域まで開かれた。

「奴は絶対に2chを見ない。嫌いとかそういうレベルじゃなかった。2chの話題が出ただけでもキレる男だった。当然2chの中で生まれたキャラクター商品など、部屋に置くはずが無い。」


 ギコ猫をふにふにと押していた僕の指先に、不自然な感触があった。固くて小さい何かが、中に埋め込まれている。
 僕は勉強机の上に置いてあったカッターを使い、ぬいぐるみを切り裂いた。で、中に指を入れて、埋め込まれた「何か」を探した。


「・・・どうやらビンゴみたいだ。」

 僕はぬいぐるみの中にあったものを摘出した。

《固くて小さい何か》の正体は、USBメモリだった。

「すげえ!!」

 興奮した井上は僕からそれをひったくると、PCに挿した。USBメモリの赤いランプが点灯し、ディスプレイに自動起動画面が表示される。「OK」のボタンを押すと、エクスプローラーが起動して、USBメモリの中身が表示された。

 僕は井上の背中越しに、ディスプレイを覗き込んだ。
 USBメモリの中には、ファイルが一つあるだけだった。拡張子は「PNG」である。ということは、これは画像ファイルだということだ。

 井上はその画像ファイルをダブルクリックして開いた。


「・・・なんじゃこら?」
 井上の表情が、またも詰めチェスが解けなくて悩んでいるオッサンみたいになった。あれ、そういやさっきは将棋だったような気がする。まあ、そんな事はどうだっていい。

 ディスプレイに映し出された画像は、全く意味不明のものだった。
 まっしろなキャンバスに、よれよれの不器用な線で書かれた「1999」の数字である。


 僕は、血のような真紅で書かれたその数に、不吉な予感を覚えた。




1999




(続く)




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