
「1999」第1章
第7話「街に出る。」
柿原家訪問の収穫は二つあった。
ひとつは「1999」という数字の書かれたPNGファイルだ。僕はそのファイルを、常日頃からポケットに忍ばせているマイUSBメモリにコピーしてきた。
恐らくこれは、柿原からのダイイング・メッセージであろう。ファイルのタイムスタンプは2010年4月8日となっていた。この日付は、柿原が謎の死を遂げた前日にあたる。
柿原は死の寸前、この不吉な数字に何らかのメッセージを託したのだ。
でなければ、わざわざファイルを保存したUSBメモリをギコ猫の中に埋め込むなどという面倒な真似はしないだろう。あのファイルは、何らかの理由によって隠されなければならない種類のものだったのだ。と同時に、柿原がアンチにちゃんねらーだという事を知る人間―――つまりは僕達だ―――によって、発見されなければいけないものだったのである。
柿原の遺志を無駄にしないためにも、僕達は「1999」が意味することを解き明かさなければいけない。
もうひとつの収穫は、割とオーソドックスなものだ。
柿原の部屋に残されていた財布の中身からは、現金とともに、一枚のレシートが見つかった。レシートは秋葉原にあるメイド喫茶のもので、日付は2010年4月3日となっていた。
注文しているのは「ほっかほかのココア \680」だった。ふざけたメニューである。ココアが「ほっかほか」なのは自明の理ではないか。生ぬるいココアなどが出されようものなら、僕は店の責任者を呼び出し、小一時間説教するだろう。ついでにココアが680円は微妙に高い気がする。
まあそれはともかくとして、僕達は手始めにこの店を訪ねてみることにした。
思えば秋葉原を訪れるのは久しぶりである。中高生の頃など、何かと理由をつけては秋葉に繰り出したものだ。
あの頃は「アキバ」という言葉を聞くだけで心がときめいた。秋葉原の街を闊歩していると「俺達はオタクだけど、その辺に転がってるようなオタクではない。オタクの中のオタク、つまりはオタキングなんだ」みたいな優越感が得られたのだ。
今になって思えばかなりイタい話だ。ちょっとした黒歴史である。
齢25となった現在の僕はこう思っている―――オタクが秋葉に赴くマインドは、アーパーな中高生のズベ公共が原宿に憧れたり、DQNが渋谷や池袋に屯集するマインドとイコールである―――と。
冷静に考えてみれば「秋葉でしか手に入らないもの」なんて、皆無に等しいのである。殆どのものは他の場所でも手に入る。わざわざ秋葉に繰り出したところで、気がつけば地元のビックカメラでも買えるようなゲームソフトなんぞを購入していたりする。ビックカメラで買えばポイントが付くにも関わらず、だ。なんという浪費だろうか。
それ以前に「秋葉でしか手にいらないもの」というと、ビンテージフィギュアや、レアな同人誌や、レトロゲームの類になると思うんだが、そんなものに大金を注ぎ込む行為そのものが愚の骨頂なのである。その心は、軽薄なOLや脳味噌の足りないキャバクラ嬢が、ヴィトンやプラダのバッグを血眼になって買い漁るのと何ら変わりないではないか。
クレバーなオタクはそんな事はしない。地元のゲーム屋で適当なソフトを2、3本見繕い、棚ゲーとして5年ほど熟成させておくのが今、一番クールでホットなオタクのあり方だと思う。
話が脱線したが、兎に角僕と井上は中央線の快速電車に揺られて、一路秋葉原を目指した。
目的地であるメイド喫茶への道程は、困難を極めた。
レシートに記載されていた店名をググって、店のHPにアクセスし、地図をプリントアウトしてきたにも関わらず、である。
その原因の98%は地図にあった。これがあまりにもアバウトな地図なのだ。JRの路線と秋葉原駅、それに大通りが2、3本描いてあるだけの図の真ん中あたりに★のマークがついている。それがどうやら店の場所を示しているようなのだが、地図の辺りは、実際には非常に入り組んだ路地となっており、一向に店まで辿り着くことが出来ないのである。
全くもってユーザーライクさの欠片もない店だ。僕はだんだん腹が立ってきた。
この僕が珍しく早朝午前10時に起床し、井上にはわざわざバイトを休んでもらって秋葉くんだりまで来たというのに、メイド喫茶ひとつ見つけるだけの為に何故、こんな苦労をしなくてはならぬのか。
やっとのこと店の入り口を発見した頃には既に午後三時を回っていて、僕も井上もクタクタになっていた。
ちきしょう、せっかく来たんだから、とらのあなにでも寄ってエロ同人誌と同人ゲームを2、3買っていって、帰ってからマスターベーション三昧としゃれこもうと企んでいたのに。
これでは何のために秋葉に来たのかわからないではないか―――
という事はなかった。
柿原である。僕達は柿原の遺した謎を解明するために今、ここに居るのだ。夜のオカズを入手する為では、断じてない。
気を取り直した僕は、メイド喫茶の中へと足を踏み入れた。
(続く)
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