
「1999」第2章
第6話「定例会」
帰宅後。
僕は椅子の上に胡坐をかき、今日の出来事について考えてみた。
PCを起動し、メモ帳を開いて、頭に浮かんだ言葉を書き連ねていく。言葉にしてみなければ、何も考えることができない。僕にとって書くことは、思考をスタートさせるためのアクセルなのだ。
とりあえず、思ったこと。
荒井は限りなく怪しい。
柿原について聞くと「知らない」とだけ答えた。
その言葉を信じることはできない。荒井は一切の情報を開示しない事が、最善の策だと判断したように見えた。
荒井は、僕に教えたくない何らかの情報を握っているのではないか?
端的にいって、何かを隠しているような気がする。
では一体、何を隠しているのか?
それを確かめるには、教団内の他の人間に接触を試みるしかないだろう。
荒井はガードが固すぎる。
奴は「定例会に出席しろ」と言った。そいつに参加するしか道はなさそうだ。
少々気が重いが、ここまできたら前に進むしかない。
●月□日。
僕は神奈川県X市にある、マンションの一室にいた。定例会は、この場所で開かれているらしい。
この部屋は、とある裕福な信者の所有物なのだそうだ。その信者は関東に10以上のマンションを所有していて、そのうちのひとつを教団に無料で貸している、との事だった。
15畳ほどのリビングに、7、8人の男女がたむろしている。
各々、気の知れた仲間と歓談に耽っているようだ。新参者の僕がそこに参入する余地はなかった。とりあえずチャンスを待つことにした僕は、部屋の隅に自分の居場所を確保し、携帯電話をいじくって時間を潰した。
30分ほど過ぎた頃、知っている顔が部屋に入ってきた。
マッチ売りの少女である。セミナーのときにチラシを配っていた、薄幸そうな女の子だ。
マッチ売りの少女は僕を見つけると、嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「お疲れ様です。」
「あ、おつかれさまですっ。」
僕たちはとりあえず挨拶を交わした。何が「お疲れ様」なのかは全くわからない。僕たちはお互いが何をしていたのか、どのような経緯でここにいるのかを知らない。だから当然、相手が疲れているかどうかなんてわかりっこない。それでも僕たちは、まだ打ち解けていない相手と出会ったときには「お疲れ様」と声を掛け合う。「おはよう」でも「こんにちは」でもなく「お疲れ様」だ。それが何を意味する言葉なのかはわからない。ただ呪文のようにそれを唱えるのだ。
「えっと…お名前を教えて頂けますか?」
マッチ売りの少女はおずおずと聞いてきた。
「東…いや、鈴木です。」
危なかった。僕としたことが致命的なミスを犯すところだった。
「鈴木さんですか。」
「はい、どこにでもあるような、極めてありふれた名前の鈴木です。」
「w
鈴木さんですね、了解です。」
苦し紛れに適当なことを言うと、マッチ売りの少女はくすりと笑った。二人の間に流れていた、緊張した空気が少し和らいだ気がした。
「ええと、僕の方はあなたの事を、何と呼べばいいですか?」
僕は尋ねた。「マッチ売りの少女」というのは僕が勝手につけたあだ名であり、僕の精神世界でしか通用しない。
「近藤エツ子っていいます。おばあちゃんみたいな名前だって、よくからかわれます。」
「w
近藤さんですか。」
「エツ子でいいです。」
「じゃあエツ子さん、いくつか質問があるので、教えてもらいたいんですけど、いいですか。
この教団の信者さんたちは、普段はどんな活動をされているんでしょうか?先日入信の手続きの際に、荒井さんに同じ質問をぶつけてみたんですけど、いまいちよく分からないんです。」
「ううん…そうですねえ…。難しい質問です。ちょっと、考えさせてください。」
近藤エツ子ことマッチ売り
の少女は、額に両手を当て考え始めた。真剣に悩んでいる様子である。
「質問に答える」という行為にあまり慣れていないのかもしれない。
5分が過ぎた。マッチ売りの少女はまだ考え続けている。額には薄っすらと汗が滲んでいる。
なんつうか、頑張れ…。
「あ、そうだ!
ヨサルディン・ポ・ゲペドンを探しています。」
マッチ売りの少女は、天からの啓示を受けたかのように答えた。心なしか頬に赤みが差してきたように見える。
「ヨサルディン・ポ・ゲペドン?」
そういえばセミナーでもその名前を聞いたような気がする。実に怪しい名前だ。何となくアラブ人のような語感があるが、どこかチグハグな印象を受ける。
「詳しくは分からないんですが、ノストラダムスの大魔王を封印した張本人なんだそうです。なんでも封印を解く鍵を握っているんだとか。
だから私達は、一刻も早くヨサルディン・ポ・ゲペドンを捕まえなければいけないんです!」
「ふむう。
てことは、ヨサルディン・ポ・ゲペドンというのは、人間の名前なんですね。」
「はい。
アラブの偉いお坊さんだそうです。」
「アラブのお坊さん…。ということは、僕たちは中東にまで飛んでいって、そいつを探さないといけないんですか?」
「いえ。
それがどうやら、日本に潜伏しているらしいのです。」
「なんと。日本のどこに?」
「新宿です。」
発狂しそうである。
アラブの偉いお坊さんがわざわざ日本にやってきて、世界を滅ぼすべく降臨したノストラダムスの大魔王を封印した。そのお坊さんは大魔王を封印した後も日本に残っていて、新宿のどこかに潜伏しているという。
茶番にも程がある。こんな馬鹿げた話を、どうやって信じろというのか?
「エツ子さんは、その話を本当に信じているんですか?」
あまりのアホらしさに耐えかねた僕は、思わず絶対に聞いてはいけないことを、聞いてしまった。
「えっ…!?えっと…あの…その…あの…。」
再び困惑に囚われるマッチ売りの少女。スフィンクスの投げかける難題に悩む旅人のような、苦渋の表情を浮かべている。
まずった。
と、その時。
タイミングがいいんだか悪いんだかは分からないが、勢いよくマンションの扉が開き、男が早足で部屋に入ってきた。
男はリビングの中心に立ち、
「皆さん!!!!聞いて下さぁーーーーーーい!!!」
と叫んだ。
(続く)
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