1999
「1999」第2章
第9話「マッチ売りの少女(3)」




「うーん…そうですねえ…。」
 
 僕は考えた。マッチ売りの少女は騙されている。それは太陽が東の空から昇り、西の彼方に沈むのと同じくらい明白な事実である。
 が、ここで本音をぶちまけてしまったら、彼女はどう思うだろう?今は彼女のテンションを落とすわけにはいかない。何も話してくれなくなったら、柿原についての情報を聞き出すどころではなくなってしまう。

「それは、考え方によるのではないですか。色々な見方があると思います。」
 妥協に妥協を重ねた挙句の返答がこれである。

「と、言いますと?」
 マッチ売りの少女の両目は、僕の顔をまっすぐ見つめている。その瞳は、僕の中に「答え」を求めていることを、雄弁に主張していた。生半可な回答では、納得してくれそうにない。

「つまり、騙されたか、そうでないかは、エツ子さんの心のあり方によって変わると思うのです。」

「あの、すいません、その『エツ子さん』って呼び方止めてもらえますか。
『エッちゃん』でいいです。」

「…はい。
 では、エッちゃん。僕が言いたいのは、こういうことです。
 エッちゃんは、今回の事態から、何かを学びましたか?だとすれば、必ずしも『騙された』ことにはならないと僕は思います。確かに手痛い出費ではあったかもしれないけど、これも『投資』だったと割り切って、そこからエッちゃんなりの利益を引き出すことができればいいわけで。
 
 これに懲りて、怪しい商売には手を出さないようにする、というのも一つの選択ですよね。そうすることが出来たとすれば、それは一つの『成長』でしょう。少々授業料は高くついたかもしれないけど、人間というものは、相応の代価を払わなければ、本当の意味では成長できないものです。まあ、いい人生勉強になったと思えばいいんじゃないでしょうか。」

 我ながら情けないほどの苦し紛れっぷりである。こんな体験が人生勉強であるはずがない。マッチ売りの少女は騙されたのだ。奪われたのだ。掠め取られたのだ。しつこいようだが、これはとても大切なことだからもう一度繰り返しておく。彼女は、一方的に搾取されたのだ。そこには身も蓋もなく、厳しく、ドラステッィクなリアルだけが存在している。
 これが僕の本音だったが、そんなことは口が裂けても言えない。意義ある目的を達成するためには、時として理不尽な忍耐が必要なときもある。
 そして、僕のこの忍耐は報われた。彼女の頬に赤みがさしはじめ、苦虫を666匹程噛み潰したかのような表情はどこかへ消え失せてしまった。マッチ売りの少女は笑顔を取り戻したのだ。

「なるほど!!そうですか!!そうですよね!!
 私、なんだか生きる希望が湧いてきました!!ありがとうございます!!ありがとうございます鈴木さん!!私、今日、鈴木さんと話せて本当に良かったです!!私、頑張りますっ!!!」

 まるで全てが大団円に収束してしまったかのような喜びようである。
 何だかマッチ売りの少女のことが、本気で不憫に思えてきた。数年後、場末のピンサロなんかでバッタリ再会するのではないかと思うと不安で仕方がない。

 まあ僕は、「ピンクサロン」などという不浄の場所には近づきもしないのだけれども。

 ていうか、僕、童貞だし。
 ていうか、僕はこんなところで何をカミングアウトしているのか?
 ていうか、そんなことはどうだっていい。
 ていうか、柿原である。
 
 水道水を海洋深層水に変えてしまうという、サティヤ・サイ・ババもびっくりのスーパーパワーを持った浄水器について、もう少し突っ込んだことを聞きたくないわけではないが、今はそんな悠長な話をしている場合ではない。

 で、そんな時。

 ある考えが閃いた。

 何故今まで、思いつかなかったのだろう。ポカポカと脳味噌の海馬付近に衝撃を加えたい気分である。これまで僕は自分のIQは284くらいだろうと考えていたが、過剰評価だったかもしれない。実際には281位かもしれない。

 
「ところで、話は変わりますが…。」
 僕はそう言って、ポケットの中からペンダントを取り出した。柿原が凶悪メイド眼鏡女鈴木にプレゼントしたという、例のアレである。

「エッちゃんは、このペンダントを持ってますか?」

「え?これ…」
 マッチ売りの少女は、少々驚いた様子でペンダントを凝視した。何か様子がおかしい。嫌な予感がした。もしかすると僕は、なにやら地雷的なものを踏んでしまったのかもしれない。

「先ほどお話した、僕を教団に誘ってくれた友人がプレゼントしてくれたものです。」
 
 そう言うと、マッチ売りの少女の様子はさらにおかしくなった。僕はどうやら「何か」を決定的に間違えているらしい。それにしても、一体何を?

「…。」

「ん…僕、何か変なことを言いましたか?」

「ええ。変ですね。
 そのペンダントを『プレゼントする』だなんて。」

「…というと?」

「そのペンダントは、幹部専用のものです。
 教団の中でも、限られた人しか持ってないハズなんですが…。
 鈴木さんのお友達は、本当にそれを『プレゼント』してくれたんですか?」



 そういうことか。



 僕はどうやら、重大な間違いを犯していたようだ。僕は、この薄気味悪い卵型のペンダント―――中に1999の刻印がある―――は、NT教団の信者全員に配られるものだと考えていた。ペンダントの出所を調べてくれた井上の言葉を鵜呑みにしていたのだ。奴は「信者の証的なものなんじゃないの?」と言ったに過ぎない。それは井上の推測でしかなく、確定した情報ではない。
 このペンダントは、教団において地位を与えられたものにのみ配られる、いわば「階級章」だったのだ。

 それはともかく、この場をどうやって収めるか?マッチ売りの少女は相変わらず訝しい顔つきのままだ。もし彼女が教団に忠誠を誓っているコアな信者だったとしたら、この瞬間、彼女の中で僕は「要注意人物」になってしまったはずだ。
 ここは何とか丸め込みたいところである。
 それに失敗すれば、今後の捜査に重大な悪影響を及ぼすことになるだろう。


「実はですね…」

 僕はとりあえず切り出した。何が「実は」なのかは自分でもわからない。


 意味不明にも程がある「実は」である。




(続く)




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