
「1999」第3章
第8話「ツキヨミ(1)」
教団は騒然としていた。
絵に描いたような「騒然さ」である。「蜂の巣をつついたような」という表現がこれほど適切に当てはまる状況を、未だ僕は体験したことがない。信者たちはそれくらい慌て、恐れおののき、あっちへ行ったり、こっちへ来たりしている。
もっともこのような状況は珍しくない。ここに出入りしている連中は常に「騒ぎ」を求めているのだ。彼らはヒマから逃れるために、即ち騒動のタネを見つけるためだけに入信したような奴等である。
が、それにしても少々様子がおかしい。
「何かあったんですか?」
僕はテンパって事務所の中を右往左往しているカブトムシ男を捕まえ、聞いてみた。
「どうしたもこうしたもないよ。えらいことになった。どえらいことだ。
あ、これはこれは鈴木さんでしたか。どうも御無沙汰してます。いやあ、大変なことになりましたね。」
「何かあったんですか?」僕はもう一度同じ質問を繰り返した。何が「えらいこと」で、どのように「どえらい」のか、さっぱり分からない。
「え!?知らないの?おかしいな。ん?いや、別におかしくないのか。そうかそうか。
あのですね、死んだんです。」
「死んだ?」
「ええ、ぽっくりと。お亡くなりになられました。」
「誰がですか?」
「水野さんが、です。幹部の水野さんです。以前から心臓を患っていたらしいんですが、あ、この情報は私も先程総務の方から教えてもらったんですけどね。それで困ったことに、教団施設の中で発作を起こされたらしいんです。
今朝、ご神体の前で冷たくなっているのを、さる信者の方が発見されました。」
「ご神体。というと、例の炊飯ジャーですか?」
「ご神体です。
鈴木さん、どうやら貴方は大きな勘違いをされているようです。あれは炊飯ジャーではありません。一見炊飯ジャーのように見えるかもしれませんが、炊飯ジャーとは全く異質なものです。あくまでご神体はご神体なのです。そこのところをよろしくお願いします。」
「わかりました。しかし、それは困ったことになりましたね。施設内で死人が出たとなると…。」
「そうなんです。何しろウチってほら、一応新興宗教じゃないですか。ただでさえ怪しい目で見られてるのに、この上死人が出たとなったら…考えただけでもぞっとしますよ。この手の話題には、世間は敏感ですから。」
カブトムシ男は相変わらず故障したカラシニコフみたいに早口で話す。おまけに話が回りくどくて長い。まともに聞いていたら4億8000万日くらい日が暮れて、聞き終わる頃には宇宙が終わっていそうである。何とかして話を打ち切らなくてはいけない――――。
とか思ってたその時。
「あの、鈴木さん。」事務の中年女がこちらに駆けてきて、僕に声を掛けた。肩で息をしている。今日一日相当駆けずり回っているのだろう。
「あ、はい。何でしょうか?」
「ツキヨミ様が鈴木さんを呼んでいます。すいませんが、一緒に来てもらえますか。」
「ええーーーーーーーっ!!ツキヨミ様が!?
」それを聞いたカブトムシ男はどこかの国の皇太子が銃殺されたという一方を聴きつけた50代主婦のように驚き、事務の中年女と僕を交互に見た。
「わかりました。」
僕は答えた。
じんわりと脇に汗が滲んだ。
ツキヨミに会う――――。それは何を意味するだろう?僕の直感は危険シグナルを発している。
アレハ ヤバイ モノダ
アレニハ チカヅク ナ
率直に言って僕は怯えていた。あの少女の力は本物だ。トリックなどでは決してない。対面すれば、何をされるか分かったものではない。
だが、待て。
だとすると。
水野の死にツキヨミが関わっている、という可能性はないだろうか?ツキヨミの念動力をもってすれば、水野を殺害することは極めて容易である。加えて警察がツキヨミを疑うことはない。「念動力」が凶器として認められることは有り得ないからだ。法律は常識の内にある事件を処理するためにのみ機能する。その外に存在するものには、何の力も持たない。
さらに推測を延長してみる。柿原殺害にも、ツキヨミが関わっているとしたらどうだろう?殺害の現場―――柿原の部屋からは、僕と井上、それから柿原本人の指紋しか検出されなかった。柿原はそれ以外の人間を部屋に入れようとはしなかった。母親でさえ、玄関までしか入ったことがないそうである。
警察が柿原の死を早々と自殺と断定したのは、この指紋によるところが大きかったのだ。
だが、ツキヨミが実行犯だとしたら、指紋など関係ない。柿原を殺し、自殺に見せかけることは、彼女にとってはさほど難しいことではないのだ。
では、何のために?
ツキヨミには水野や柿原を殺す動機がない。二人を殺害するメリットが全く見えないのだ。それは、彼女が単に快楽殺人者であることを意味するのか?否だ。その結論にはあまりにも無理がある。
これ以上の推測には何の意味もない。僕が現時点で把握している情報は、あまりにも貧弱すぎる。
やはり僕はツキヨミに会わなくてはいけない。前に進むにはそれしか方法がない。圧倒的に情報が不足している。危険を冒してでも、彼女と対峙するしかない。
僕は事務の中年女に連れられて、エレベーターに乗った。中年女は<6F>のボタンを押した。そこはハピネスビルディングの最上階である。6Fに入室できる人間はごく限られている。一般信者は<6F>のボタンに触ることすら禁じられているのだ。教団一の実力者と呼ばれている結城ですら、立ち入りを許されていない。
エレベーターのドアが開いた。中年女は「開」のボタンを押したまま「どうぞ」と言った。僕はゆっくりと6Fの中に足を踏み入れた。
目の前に大きな扉が立ちはだかっている。見るからに頑丈そうな金属製の扉だ。扉は両開きで、表面の大部分が真っ赤に塗られている。縁には黄金の装飾が施されており、実に物々しい。まるでヤクザの事務所みたいだ。ドアノブは黄金の獅子である。いかつい顔をしたライオンが、金の輪をしっかりと加えている。あまりにもわざとらしすぎて笑ってしまいそうな内装だが、とにかく金がかかっていることだけは確かみたいだ。
中年女が僕の後ろから歩いてきて、金の輪をつかみ、扉をトントンと2回ノックした。すると、
「入れ」と声がした。否。「声がした」というのは適切な表現ではない。正確には、「入れ」という声が頭の中で聞こえた気がしたのである。
そして、ドアがひとりでに開いた。
中から漏れ出したまばゆいばかりの光が、僕の目に突き刺さった。
(続く)
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