1999
「1999」第3章
第9話「ツキヨミ(2)」




「よく来たな。」
 ツキヨミは椅子に座っていた。豪華な椅子である。背もたれは天井にあと少しというところまで伸びており、至るところに繊細な彫刻が施されている。「玉座の間」と呼ぶに値する部屋だった。

「驚いたか。」ツキヨミは可笑しそうに言った。

 ツキヨミは巫女が着るような和服に身を包んでいる、髪は長く、先端が床につきそうだ。眉は太く、目は鋭い。猫科の肉食動物のような顔つきをしている。

「はい。少し驚きました。」僕は答えた。
「そうか。」

「それで、何故僕を呼ばれたのですか?」
 率直に質問をぶつけてみる。この少女に小細工をしても無駄だという気がした。

「ふむ。
 端的に言って、暇だからだ。童は今、非常に退屈しておる。荒井の奴は会議と称して何やらこそこそと動き回ってばかりおるし、侍女共も浮き足立っておる。そんなわけで誰も童の相手をせぬ。」

 侍女というのは事務の中年女のことだろうか。

「そこでお前を呼んでみた。お前、中々の切れ者らしいな。」ツキヨミは前かがみになり、顎に両手を当てて体重を預け、上目づかいで品定めをするように僕を凝視した。

「はあ、切れ者なのかどうかは自分では判断が付きかねますが。」

「童の周りの者は、口を揃えてお前を褒めておる。まあ、荒井の奴はあまり良い顔をしとらんが。あやつは根が小心に出来ておるからな。」

「そうですか。恐縮です。荒井様の気に障るようなことがあったのであれば、以後気を付けます。
 それで、僕は何をすれば良いでしょう?」

「そうさの。何でもよい。とにかく童を楽しませるのだ。それが出来れば望むままに褒美を取らせよう。出来ないようであれば…」

「出来ないようであれば?」

「痛い目を見ることになる。以前目にしたようにな。」

 恐らく例のセミナーことを言っているのだろう。あの時僕の後ろに座っていたサラリーマン風の男は、ツキヨミの念動力によって壁に叩きつけられ、泡を吹いて悶絶した。

「わかりました。」
 僕は了承した。それ以外に選択肢はない。









「では<目次>と<柚子>と<てんとう虫>をテーマに話をしたいと思います。
 よろしいですか?」

「ふむ<目次><柚子><てんとう虫>とな。何が何やら分からぬが、面白そうだ。話してみよ。」

「ありがとうございます。
 ある日のことです。僕は何をするでもなく、部屋の窓から外の景色を眺めていました。」

「ほう。」

「その時、こつり、という音がして窓に何かが当たりました。何だろうと思って近づいてみると<てんとう虫>でした。空を飛んできたてんとう虫が、舵を切り損なったのでしょうか、僕の部屋の窓に衝突したのです。ドジな奴です。そいつは窓枠にしがみついてピクピクと痙攣していました。」

「ふむ。それが<てんとう虫>じゃな。」

「はい、そうです。
 僕はそいつが可哀想になり、部屋の中に入れてやることにしました。そして鍵を開け、窓を開けててんとう虫を入れてやりました。
 すると―――」

「すると?」
 ツキヨミが僕を睨んだ。まずい。どうやら疑われているようだ。困った事にその疑念は的中している。僕は適当な話をしているのである。平静を装ってはいるが、頭の中は真っ白だ。デタラメに<目次><柚子><てんとう虫>という言葉を並べてみたものの、そこから先は何も考えていない。どうにかして辻褄を合わせ、ツキヨミが喜ぶような話をでっち上げなくてはいけない。失敗すれば、彼女の怒りが念動となって僕を襲うだろう。そうなれば最悪命を失うかもしれない。水野にした(かもしれない)ように、ツキヨミにとって念動力で心臓を停止させることは、容易い芸当なのだ。
 さてどうする?考えろ。考えろ。

「てんとう虫が爆発しました。」

「爆発?」ツキヨミの表情が難しそうに曇った。

「ええ、爆発です。ぼん、という音と共にてんとう虫は爆発しました。」

「何故てんとう虫が爆発するのだ?てんとう虫は昆虫であろう。昆虫は爆発などしない。」

「仰る通りです。ですが爆発したのです。
 本当のところ、それはてんとう虫ではありませんでした。てんとう虫の形をした爆弾だったんです。」

「?」

「実は、この時僕はある組織に命を狙われていました。そいつらはとんでもなく悪い連中で、実に様々な悪事を行っていました。彼らの最終目的は世界征服でした。僕はその組織の野望にいち早く気づき、これを阻止しようとしていました。それで、命を狙われたのです。」

「ふむう。」ツキヨミが唸る。

「組織は<柚子>を集めていました。<柚子>を10億個集めれば世界が征服できると彼らは本気で信じていたのです。何故<柚子>を集めることが世界征服につながるのか?理由は分かりません。全くの謎です。けれどもとにかく組織の連中は、この計画に絶対の自信を持っていました。
 僕は組織が力を持っていることを知っていました。彼らは為替操作によって莫大な富を得ており、優秀な技術者を何人も囲いこんでいました。さらに悪いことに核を保有していました。組織はその気になればもっと現実的な―――つまり、一般常識に照らし合わせてみても納得のいく方法で世界征服を企てることもできた筈です。そんな奴等が<柚子>に固執するのだから、何かあるはずだ。僕はそう考えました。

そこで彼らの計画を妨害することにしました。ポン酢は柚子ぽんを使うことにし、ホットレモンが飲みたくなっら我慢してホット柚子を飲むようにしました。毎日浴槽に柚子を四個入れて柚子風呂に入り、柚子茶を飲み、柚子シロップを作り、柚子ジャムを舐め、パンに柚子マーマレードをつけて食べ、味噌汁には柚子味噌を使うよう母親に頼みました。なるべく柚子を消費するようにして、彼らが入手できる柚子の量を減らす作戦です。

その努力の甲斐があったのか無かったのかは分かりませんが、それから一ヶ月が経過しても世界は平和そのものでした。どうやら組織は世界を征服できずにいるようです。

しかし、それからというもの僕の身辺でおかしなことが頻発するようになりました。夜中に散歩していると(深夜の散歩は僕の数少ない趣味のひとつです)誰かに尾行されているような気がしました。吉野家で牛丼を食べていると、客と店員に監視されているような気がしました。
最初は気のせいかとも思いましたが、そうではありませんでした。というのも、それから2、3週間すると僕宛におかしなメールが届くようになったからです。


ワレワレ ヲ ボウガイ スルノハ ヤメロ
ツヅケレバ イノチノ ホショウハ ナイ



そんな文面のメールが、一日に何通も届きました。多いときは1000通を超えることもありました。




(続く)




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