1999
「1999」第3章
第10話「ツキヨミ(3)




 が、僕はあまり物事に頓着しない性格をしているので、あまり気になりませんでした。メールを迷惑フォルダに入るように設定して、2、3日でその事についてすっかり忘れてしまったのです。

 そこで組織は実力行使に出たのでしょう。


「ふむ。続けよ。」ツキヨミは話の合間にあいづちを打つようになっていた。どうやら少しは興味を持っているようである。

「僕は<柚子>の買い占めをしばらく控えることにしました。命を危険に晒してまで、世界平和に貢献しようと思うほど、僕は善人ではないのです。しかし、だからといって世界征服されてはたまったものではありません。
 僕は頭を捻りました。何とか気付かれずに、組織の野望を阻止したい。その為にはどうすれば良いか?

 僕はまず、組織が<柚子>を用いてどのように世界を征服しようとしているのかを突き止める必要がありました。一体全体どこをどうすれば、<柚子>で世界を支配できるのか?
 例えば<柚子>の中に、人間をマインドコントロールして、意のままに操ることができるような成分が含まれているとすれば、どうでしょうか。突拍子もない仮説ではありますが、絶対にあり得ないとは言えません。何事も断言は禁物です。無意味に思える物事の中に、真理が隠れていることも少なくないからです。

 或いは組織は<柚子>の反物質―――言わば<反柚子>とでも呼ぶべきものを保有しているのかもしれません。もしそうだとすれば、世界征服など赤子の手をひねるように簡単でしょう。<柚子>に<反柚子>をぶつければ、対消滅によって<柚子>の質量は天文学的なエネルギーに変換されます。それは地球を丸ごと吹き飛ばしても、お釣りがくる位の膨大なエネルギーです。
 でも<反柚子>を保有しているのであれば、10億個もの<柚子>は必要ありません。5、6個もあれば十分でしょう。このことから、僕は組織が<反柚子>を持っている可能性は極めて小さいと判断しました。次に…」

「鈴木。」ツキヨミが僕の話を遮った。

「なんでしょうか?」

「貴様、出鱈目を申しておろう。」ツキヨミの目が赤い光を帯び始めた。

「はい。」僕は答えた。心の底では酷く怯えている。だが、今はそれを悟られてはならない。僕は意志の力を振り絞り、恐怖を無意識の底に押し込めた。

「ほう。良い度胸だ。覚悟はできておるのだろうな?」

「ひとつ質問させてください。」

「何だ?」

「私の話はつまらないですか?」

「ふむ。」ツキヨミは眉をひそめた。「そうさの。つまらなくはないな。」

「良かった。それでは話を続けさせてください。大切なのは話の真偽じゃない。要は、面白ければそれでいい。違いますか?」

「言われてみればそうかもしれんな。良かろう。口の上手い奴だ。もう少し話を聞いてやろうではないか。」

「ありがとうございます。」

 どうやら窮地は脱したようである。だが、まだ油断はできない。僕はなんとしてもツキヨミが喜ぶような話をでっちあげなくてはいけないのだ。失敗すれば命はない(かもしれない。)
 僕は息を大きく吸い込んだ。


「では話を続けさせていただきます。ええと、どこまで話したんでしたっけ。確か組織が何故<柚子>を集めているのか。その理由を僕が考えていたところまで、でしたね。」

「うむ。」

「僕は様々な可能性について考えました。

 <柚子>マインドコントロール物質説
 <柚子>反物質説

 先程お話しした、この二つの仮説はその中でも比較的有力なものです。他には<柚子>をエネルギー源とする怪物を飼っている説、<柚子>から<超柚子>を生成し、これを食すことによって超人化した人間を集め、無敵の軍団を組織する説などを思いつきましたが、どれもぱっとしません。というわけで割愛させていただきます。

 いずれの仮説が正しいにせよ、或いは全て間違っているにせよ、ともかく世界征服を阻止しなければなりません。

 さてどうしたものか。
 困りました。
 実は、こんな時に僕は、一冊の本に頼ることにしています。その本を僕は『困りの書』と呼んでいます。正式名称は分かりません。というのも、その本には表紙がないのです。
 それはとても奇妙な本です。繰り返しますが、その本には表紙がありません。でも、それだけではないのです。」

「それだけではない。というと?」

「この本には裏表紙もありません。当然帯もありません。しおりの役割を果たす紐もついていません。ISBNコードもバーコードも無しです。実のところ『困りの書』には作者すらいないのです。
 そして極めつけに。」

「極めつけに?」

「本文がありません。」

「本文が?」

「ええ。」

「それでは何もないではないか。」

「いいえ。ひとつだけあります。」

「何が?」

「<目次>です。『困りの書』は、目次だけで成り立っている書物なのです。」

 ツキヨミのただでさえ険しかった顔つきが、一層剣呑になった。「童を舐めておるな。死にたいか?」とその表情は語っている。
 僕は持てる言語能力の全てを駆使し、なんとかしてこの出鱈目な物語に説得力を持たせなくてはならない。でなければ死が待っている。僕はそれを確信した。さすがの僕も神に祈らざるを得ない。南無三。


「『困りの書』はとても不思議な本です。しつこいようですが、この本には<目次>しかありません。その代わりといっては何ですが、この世に存在する、ありとあらゆる物事についての<目次>が載っています。
 で、不思議なことに、その<目次>を眺めていると、読み手が抱えている問題の解決策が自然と頭に浮かんでくるのです。あたかも<目次>の中に、本文の内容が凝縮されているかのように。
 だから僕は『困りの書』をとても大切にしています。」

「ふむ。」そこまで話すと、ツキヨミは左の掌を前に突出し、僕の話を静止した。

「『困りの書』か。中々面白そうな本じゃな。童は気に入ったぞ。」

「ありがとうございます。」

「持って参れ。」

「え?」

「童はその『困りの書』とやらを見てみたくなった。今すぐ持ってこい」

 ツキヨミの目が怪しく燃えている。この分だと『困りの書』を持ってこない限り、僕に明日はないようだ。
 無論、『困りの書』など存在するはずがない。全くの出鱈目、口から出まかせである。そのことは先程ツキヨミにも伝えておいた。が。そんな理屈が通用するような相手ではない。
 ツキヨミは神である。教団の信者たちに崇められている、というだけではなく、恐るべき超常の力を持った魔性の女なのだ。
 僕は何だか息苦しくなってきた。心なしか鼓動も早まっている気がする。もしかするとツキヨミが力を使ったのかもしれない。だとすれば、僕の冒険もここまでだ。柿原の死の謎に殆ど近付くことすらできず、こんなところで無意味死してしまうのか。無念にも程がある。なんとかしてこの窮地を切り抜けなければ。

「残念ですが、それはできません。」

「何故だ?」イライラした声でツキヨミが言う。

 僕は思い切って賭けに出ることにした。

「『困りの書』は持ち去られてしまったからです。」

「誰に?」

「柿原という男に、です。」

「柿原?それは誰だ。」ツキヨミは淡々と質問を繰り返す。質問は僕をじわじわと追い詰めていく。

「教団の信者です。実は僕は、その柿原という男を追って入信したのです。」


「嘘をつけ!!!!!」ツキヨミが吠えた。


 次の瞬間念動が僕を襲った。頭に割れるような衝撃が走り、頭蓋骨の内で脳味噌がスクランブルエッグみたいにぐちゃぐちゃに潰された感じがした。全身から力が抜けていく。僕は死を覚悟した。次第に手足の感覚がなくなっていき、視界もぼやけてきた。
 何も見えない。何も聞こえない。最早これまでか。




(続く)




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